やさぐれ日記

とりとめのない話をしています。

今日の考えをツイートでお送りします

・ツイートをする場をひとつ消したので代用として今日はブログでツイートを行うことにした。これも表現欲求と言っていいのかな。誰かに聞いて欲しいだけなのかもしれない。

なんらかのアカウントでツイートしているものも含むけれど、それは気にしないでください。

 

・土曜日、空虚である。何か面白いことがないかなと他人任せな気持ちになっている。

 

シャニマスにハマっている。ゲームをしているとその中で、わたしという存在は完全に無視されており、それに没入することで自己を消すことができる。これがとても心地いい。その点で漫画や映画も好きだ。

 

・死への恐怖がある。おそらく死ぬことにより解放されるが、その1歩を踏み出す気にはなれない。なぜ死なないとならないのか。わたしは死んだことがないから分からない。分からないまま全ては進む。

 

・何度も言ってるけれど、全てのことはなにかで例えられると思っている。

それは、野球で、数学で、散歩で、料理で、落語で例えることができるはずだ。あらゆる物事のうちのなにかは全てを内包しており、また別のなにかも全てを内包している。想像力はほとんど何もかもを超越する力を持っている。

 

・抑圧された苦しい状態の方が詩が書ける、と気づいた。死が眼前に迫ったその時に わたしは生きていたいと渇望できた経験が何度かあるが、それと同様のものだろう。

 

・去るきみに まとわりつけと 吐くけむり 貴方らしさよ 消えてなくなれ

 

現代思想の最新号では反出生主義をテーマとしており、興味があったので読んでみた。反出生主義に興味が無いことがわかった。

(現代思想の内容だが、反出生主義に関するベネターの和訳があり興味があれば一読してみれば主張が分かるようになっている。感情としては理解できるものの論理が弱い。またその反論もベネターの主旨を取り違えたものが多く観点として目新しいものはなかった)

 

・ある個人に対する愚痴を延々と言うのはダサい。それは自分の価値を下げることになるから、注意を払って欲しい、とTwitterを見て思った。でも、自分の嫌いを無くすことはしないで欲しいから、それは胸の中で大切にしているべきなのかな。

嫌いを失うような心持ちで生きることをしていると気付かぬストレスに心をやられてしまうことがある。これはつづ井さんがノートで書いていた話と同じような意味です。

 

・週に5個のペースで焼き芋を食べている。焼き芋は冷やすと甘みが増して、またカロリーも減るらしいと知り、やってみるとたしかに美味しさが増して良かった。

けれど、焼きたてで温かいものを食べたい気持ちの方が強い。冷たい方が確実に美味しいのに不思議だ。きっと、熱には魔力がある。

ちなみに、毎回さつまいもの水洗いが足りてなくて、少し砂のある状態で食べている。野生み溢れる食生活。

 

・自分はどういうキャラクターなのだろうか、と大学の後輩がよく嘆いたり、キャラ付けに足掻いたりしている。

私としては、この私という存在そのものが唯一無二であり、私にとって最もよく馴染んだキャラクターであるのに、なぜ自分を鋳型に押し込んで分かりやすくしようとするのかが理解できない。

また、自分を分かりやすくしてしまうと面白くない人間(ありふれた存在)になってしまう気がするのだけれど、みんなは違うのだろうか。ファーストフードのように消費されることは恐ろしい。そう感じるのは一般的ではないのかな。

 

・昔よく通っていたパン屋を久しぶりに訪れるとパンのサイズが小ぶりに、値段は大ぶりになっていた。昔と変わらず美味しかった。バターとか油とか多く摂取すると体に悪いものは美味しいね。

 

・パン🍞出生主義