やさぐれ日記

とりとめのない話をしています。

ノイズを散乱

ブログを前に更新してから11か月ほど放置していた。何かあったというわけでもなくただただ放置していた。およそ一年間で私はどう変わったのか丁寧に説明してもよいのだが、特に気が乗らないのでやっぱりやめておくことにする。そもそも自己認識など殆ど変わってもないし、変わることなどこれからも凡そ無いのであろう。

まあ、そのようなことはどうでもいいのだけれど。

 

今日は何の話をしようか。考えようと思ったけれど決めるのをやめることにする。ただただ脳から出てくる言葉をそのまま文章にしてやる。読み手の気持ちなど一切考えてやるものか。私の思うままの言葉の洪水を受け止めてくれ。洪水というほど言葉を吐くことすらできないが。文才というものが降ってきている人は溢れるように言葉を生み出せるのだろうか。高校一年生を過ぎてからTwitterに浸かりきって抜け出せなくなったので、語彙力は死んでしまった。そもそも文章力など無いのだ。ああ。ああ。

 

先週の火曜日にバイト先で教えている生徒から先生はとても悲しい人だ。夢はないのか。何のために生きているのだと問われた。答えることはできなかった。私は彼から見たら悲しい大人らしい。夢を持つことは正しいこととは限らないと生徒を諭した。そんな退屈に生きたくはないと彼は断言した。彼には大きな夢があるらしい。好きなものを照れることなく彼は語っていた。私は否定した。夢を持つことがすべてではないのだ。漫然に生きて何が悪いのだ。日々の喜びや楽しみ、夢について昔はよく考えた。それがないと生きていってはいけないとすら考えていた。しかし私にはそれが無かった。死ぬ勇気など無い。ならば生きる理由を探さなくちゃ。けれど、それもやめた。考えることをやめた。何も考えずとも日々は過ぎる。終わる。巡る。何がどうなろうと関係ない。私はどうなりたいのか。わからない。わからない。

 

昔から正義や悪の出てくる話が好きだった。悪人側の正義感や正義側の歪さ、また二元論ではないなどと格好つけてのたまうキャラクターたちが好きだった。英雄にあこがれた。何かになりたかった。きっと。そんな気がする、というよりそうであってほしいという願いである。昔の私には、夢があり、希望があり、明るく未来を信じていたのだ、とそういうことにしてしまいたい。リアリストではつまらない。世の中はあまりに楽しいことが多すぎて自分がつまらない人間だということをすぐに忘れてしまう。空も飛べない。上手に生きることすらままならない。世界は今日も休むことなく回る。それは、悪い意味でもそうなのだ。

 

特に意味もなく文章を並べた。言葉は乱雑で汚く読み返す気にもならない。明日世界が終わるのなら私は今日何をしようか。

きっと私は何もしない。きっと私は何もしない。何もしない。

ばいばい。またね。