やさぐれ日記

とりとめのない話をしています。

鶏と卵の先にいます

タイトルを思いついただけなので内容は無いようです。

 

「でも、今から生み出せば問題ないでしょ?」

 

ブログを書くとすると今から何かを無理やり書くのは当たり前のことですけど、あえて強調するとちょっと強キャラっぽくなりましたね。

人生でも強キャラとして生きてみたいものです。

 

 

 

大見得を切ったところで何も思いつかない!

特に取り上げたい情動がない。

そもそも私はいつも大して何も考えずに日々を過ごしているから言いたい事なんて特にない。

どうしようか……?

 

 

・自分のツイートを読み返してみたらなにかいえるかもしれないので、今日は実験的にそれをやってみます。

なんとか書けてくれ、時間かけて下書きに戻すのはもう嫌だ~。

 

 

 これは卑怯なツイートですね。

大人という言葉が定義されていない上で大人になると表現したところで何も言ってないに等しい。

以下では齟齬を避けるために、大人とは親の庇護下から離れて社会生活を送っている人、親が死んでも生活を送ることができる人とします。

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23時過ぎに作業をしようとエナジードリンクを買いに行くと『ポケットにファンタジー』が脳内で再生された。

子どもがはやく大人になりたいと歌い、大人が子どもの頃に戻ってみたいと歌う、互いを羨むその歌詞を思い出して、そういえば私は子どもの頃に大人になりたいと思ったことはないと気づいた。

 

ポケットにファンタジーにおける子どもは自分の感情を具体的に描写する能力を持っていないため、なぜ自分が大人になりたいかを説明することができない愛らしい少年だ。

私の小学生時代を思い返してみてもそのような愛らしさを持ち合わせていなかった。

大人になりたいと思ってはいなかった。彼らが私たち子どもよりも大変であることはテレビで何度も見ていたし教科書で見てきたし、また大人たちが大人は大変であると何度も繰り返し語っていたからだ。

だから私は大人になりたくはなかった。大人とは大変な存在であるから。

 

また、小学生や中学生の私は、教師や親族、またクラスメイトの親が彼ら自身は大人であるという理由から、私たちを抑圧して管理し保護する対象として子ども扱いされることが我慢ならなかった。(この文章は主語と述語の関係がとりにくくて読みづらいな)

子ども扱いを受けると私たちのことは私たち自身で決めることはできなかった。全ての決定権はその場の保護者に委ねられて、私たち子どもはそれに従うことしか許されなかった。子どもには責任がない。そして権利もなかった。大人たちが何度も私たちの行動を選択するうちに、私は子どもは人間として扱われないことを知った。

だから私は子ども扱いされたくはなかった。子どもでいたくはなかった。彼ら大人と同様の『人間』になりたかった。

今もその気持ちはあまり変わらない。

子ども扱いされたくない。

大人になりたくない。

しかし、いずれ私は大人になるのだろう。

ネバーランドはここにはない。

もしかしたら、子どもは子どもでいられなくなった時に強制的に大人にされるのかもしれない。

大人になるのが先ではなく、大人としての場を強制されたときに人は大人とされる。

大人とされるから、大人になるのだ。

鶏と卵が先に生まれたのはどちらかと争っていることを私が知るずっと前から、私には大人の場が用意されていた。

先送りにしていた未来がもうすぐやってくる。

 

 

無理やりタイトル回収しようとしたが強引だったかな。

 

ちなみに高校生の頃には今からでも戻りたいです。もっかい文化祭してえ~。

 

それでは、また。