やさぐれ日記

とりとめのない話をしています。

今すぐにでも千の風になってくれ

あの頃よく聴いていた音楽には多くの思い出が詰まっている。

今聴いている音楽もきっと未来の私にとってはタイムカプセルだ。

だから私は思い出の音楽をあまり聞くことができないし、ふとした拍子に懐かしい曲を聞くと私の情緒はぐわんぐわんに揺らされて、居ても立っても居られなくなる。過去の記憶たちが襲いかかってくる。美化された後悔ばかりの記憶が眼前に立ち込めてくる。

目に見えない音楽でそのようになる。

だから、写真などもってのほかである。

瞬間を切り取って保存する写真は編集された過去を再生する。

写真はいつ誰と何処でなにをしたかを切り取り、私はあまり写真を撮る方ではないのでなぜその写真を撮ったのかまでが脳内でリフレインする。

しかし、自分で撮影した写真は好んだ音楽と違い、街で偶然出会うことはない。日常の中でも写真フォルダを開かない限り、目にすることはないだろう。ならば問題ない。問題ないと思っていた。

windowsのスタートメニューを開くとPCのフォトが自動で写真を表示することは忘れていたのだ。

つまり、今日はPCをシャットダウンしようとスタートメニューを開いたところ見るつもりのなかった写真を目にして、思い出す予定のなかった記憶が掘り起こされてしまった。

このまま寝ると絶対に悪夢を見る。私には分かる。

だからとりあえずブログを書く。この感情をブログに押し込める。感情のお片付け。

 

 

追記:ここから先の内容は、私が私を慰めるためだけに書きました。

   未来の私のためでなく、現在の私のための文章です。

 

今の私にとって最も大切なのは、過去が存在しないと言い切ること、そして記憶は嘘だと断言すること。

過去というものは、現在において現実世界に存在しない。この世界に過去はない。未来もない。今という瞬間の連続である。瞬間の連続であるが、未来と過去は存在しない。過去はあったという形しかとらない。過去があるということはあり得ない。

 

ここから長々と過去が現在の世界において存在しないと書いたが、過去が存在していたことは否定できないし過去があったことに苦しんでいるから現在あろうがなかろうが関係ないと思い直したので消した。

そもそも私は時間にまつわる哲学を理解していないので過去が存在するかどうかは分かっていない。

しかし、そのようなことはどうでもいい。些末なことだ。

 

現在のあなたが過去の映像に対し、なんらかの記憶を呼び覚ました時、それは絶対に偽物の風景である。あなたが思い出す記憶は必ずどこか編集され、部分的に省略され、恣意的に加工されている。過去に現在の私たちは存在しない。記憶という不確かなモノだけがある。

あなたの記憶は脚色されている。嘘で塗り固められている。記憶はあなたが理解したい形に変質している。悲しめるように悲劇化されている。喜べるように美化されている。

そのような嘘になぜ現在の私が感情を弄ばれるのか。

 

そもこのような戯言を弄することが分かっていたのになぜ写真を撮ってしまうのか。なぜ写真を消さないのか。

なぜ私は過去が存在しないと言いたいのか。記憶は嘘だと断言したいのか。

 

あなたに私の気持ちが分かるでしょうか。

ほんの少しでも分かってくれますでしょうか。

 

 

 

もしも分からないなら、それ以上に喜ばしいことはないでしょうね。