やさぐれ日記

とりとめのない話をしています。

オタクですらない

2年前から文化的な人になりたいとなんとなく考えていた.僕のいう文化とは,アニメ,漫画,小説,映画,音楽などのことを指している.Twitterという場は情報収集に非常に適しており,影響を受けやすく価値観が変遷していく.センスのいい人間に憧れて,その人たちの興味関心に興味を抱くようになった.ぼくに創作する勇気や気力は持っていなかったので,彼らのような本物の消費者になりたかった.しかし,僕は偽物にしかなれない.本物に近づくことすらできない.

文化を消費していくうえで大切なことは,咀嚼能力の高さだと思っている.咀嚼能力とは,解釈の力,周辺知識,感受性のことを僕は指している.同じ作品を見ているのに,彼ら本物の消費者より,その作品へ理解が及ばずに言語化すら出来ない.それは作品本来持っている味を見いだせていないことだと思う.本質を楽しみたい,楽しめないのは,彼らが過去に払ったコスト(それが何であるかは理解していない)を未だに払っていないためなのだろうか.彼らの見ている世界が見たい,強くなりたい.

感受性を高めるのはそれほど難しいことではない.自分の感情のリミッターを制御して,常に大げさな表現を試みればそのうちに心が追いつく.弊害はややあるので,制御は重要だ.たぶん,僕は小学生の頃にそれを行っていたからそれは良かった.人が笑うという行為が理解できなくなったので,他人やテレビを観察して,人間がどのタイミングで笑うのかというのをなんとなく覚えて,それに合わせるようにしたら,感情が心に張り付いた.適応である.(ただ,そのころのテレビはまだイジメのような古い笑いが蔓延っており,また有吉や山里良太,若林が台頭し始めたころということもあり,斜に構えたスタンスも張り付いたのはその後に後悔することになるのだけれど.)

しかし,これは偽物のやることなんだと思っている.彼ら本物は他人の意見を理解したうえで自分の意見を述べることが出来る.僕にはまだそれが出来ない.専門性があるわけでもなければ,情報感度がいいわけでもない.そういう風な装いをしようとしているだけの,偽物にしかなれない.自分で興味を持ったものに対してもすぐに飽きてしまう.咀嚼せずに作品を丸呑みして,味を理解したふりをしている.他人の意見をさも自分のように語ることしかできない.

ぼくはオタクになれない.