やさぐれ日記

とりとめのない話をしています。

男女と虫は光るところが好き。

ここ数日、当然のように最高気温は35℃を超えている、非常に暑くて暑くてたまったものではない。

そのように暑い日には部屋で冷房に涼みながら布団にくるまりアイスを食べながら寝て起きて寝て一日を過ごすのが最高である、当たり前だ、外に出るなど論外、頭のねじがぶっ飛んだ行為であるという他ない。

百歩譲って外に出るにしても、人気の少ない陰に行ったりだとか水辺で涼をとるのならまだ理解できる、しかし世間には暑い時期に暑いものを見たがる変わり者が多いらしい。わざわざ普段は着ない浴衣を着て、蒸し風呂状態の人ごみの中に突入し夜空に形作り放り投げられた炎を見に行くのが「青春」というものらしい。

そして花火大会に行ってきたと言いながらも花火がいかに美しいか、素晴らしいものであるかに想いを馳せることなく自分のきれいな写真を撮ることに苦心する。良い雰囲気になりともに花火を見に行った異性を口説くことに心を燃やす。

要するに花火は大抵の人々にとっていちゃつく為の、自己顕示欲を満たす為の口実として使われているのだ。確かに花火はきれいだ、君の連れている恋人の数倍きれいだ、間違いない、しかし君たちが跋扈しているせいで、一人で花火を見ることがまるで恥ずかしいことのように感じられてしまうのだ。恋人たちが思い出作りにちょうどいいだろうと考えた結果の行動に私の心は殺されていくのだ。

祭りの空気にあてられて顔を赤くしている君たちの横を、申し訳なさそうな顔を作り通る私の心の熱は、燃え上がる君たちの情熱に吸い取られ-273℃冷えていく、むしろ涼しい。

とはいえ花火を見ている横で喧嘩をされていても困る、ただ静かに花火を見ていたいのだ、理想を言うならば二郎系のラーメン店の雰囲気で花火を見たい、ただ花火だけと向き合い終了すれば最速で後を残さずにすっと消えるようにして花火を見たい。

 

ここまでただただつらつらと僻みを書いてきたので少し気が晴れた。

君のいない夏が今年もやってくる、せめて遠い夢の中にいたいけな少女がいたらどれほど夏を楽しめただろうか。しかし嘆いていても夏はもうとっくに来ている、きっとまた時間は一瞬で過ぎ去っていくのだろう、せめてあの花火のように一瞬だけでも輝かしい夏の思い出を刻みたかったと思いながら、私は今日も布団にくるまりアイスを食べながら寝て起きて寝るを繰り返すのである。