気楽に気軽に
今日は少し考えたけれど本来私のブログのタイトルに意味なんてないよ、日々の生活の中での考えの羅列がすべてラベルを張って整理できるわけなんて無いからね。
そもそも世の中に意味のないものは溢れているわけでして、私たちが時間があればやっているツイッターなんて意味のないものなのは間違いないし、なにかを待つ間にする会話に意味なんてないだろうし私が深夜にブログを書いていること自体世界中の人々からしたら意味のないことなんだろうね。
だけれど、意味がないものこそ愛していきたいと思うんだ。意味のある行動というのは美しくて気高くてさぞかしご立派なんだろうけれども、それだけではなんだか疲れてしまうよ。突き詰めていってしまえば、僕たちがいま必死に生きていることなんて人類にとっては誤差でしかないようなどうでもいいことなんだろうし、地球にとっても意味のない生命なんだろうよ。世界を変える発明ができるわけでもないんだから私が私であることに意味はないんだよ。
尾崎豊は自分が自分であるためには勝ち続けなければならないなんて言ってたけれど、私にはそのような高次元なことできる気もしないし、負け続けるようなことも耐えられないので勝ったり負けたり踏んだり蹴ったりラジバンダリな生活を送っている。
けれど私は別に意味がないから死んでやろうとは思わない、そもそも私以外の大体の生命も代替可能なんだから私の命くらい許してくれって感じなんだ。
明日には言っていることが変わっているかもしれない、まあそれも許してくれ、人間矛盾だらけなもんだからさ、今日の意見と明日の意見が真逆なんてのもよくあることじゃん。仕方ないんだよそれもさ。昨日と今日で文体が変わっているのも仕方がないんだよ、寛大にいこう。
つまり、言いたいことはただ一つ、気楽に生きていこうよ。