やさぐれ日記

とりとめのない話をしています。

秋、窓辺、深夜の感情

不安と共に過ごした9月と共に夏が過ぎ去り、ようやく秋だと断言出来る時期になった。
ぼくは今日のような気温が一番好きだ。夏は暑すぎて億劫になるし冬は寒さで怖くなってしまうから。

 


さて、関係の無い話をする。

ぼくは対等な関係は存在しないと思っている。先輩や後輩、スクールカーストといった分かりやすい違いではなくて、お互いに友人だという共通認識を持った者同士や恋人同士であっても、ある人の感情ともう1人の感情がつり合うことなどありえないからだ。そういう意味で人間は常に孤独な生き物である、と考えている。

 

では、もしそうだとして、何の問題があるのか。いや、あるのだ。僕は対等関係が存在しないことを苦しみの根源のひとつだと認識している。もし、他人の感情を全て数値として常に読み取れる世界であれば対等がありえないことは僕にとって今ほど大きな苦しみの種になっていないだろう。

なぜなら、それはおよそ仕方の無いことだと割り切る作業が、現在の世界よりも簡単であるからだ。しかし、現在の僕が認識している現実の世界ではそうはいかない。

他人の感情は言葉や態度から見える表層的な部分から読みといていくしかなく、また厄介なことに人間には嘘をつく能力がある。嘘のつける他人のことなど何もわからない、分かるわけがないのだ。

 

そしてさらに厄介な事として、自分の感情さえ数値化されることは無いため、自分で自分が分からないといった最悪な現状に身をおかされている。そのせいで、器用に生きるのはめちゃくちゃ難しい。自分さえ理解できないという孤独が常に身を蝕んでくる。

 

それでも、生きていかなければいけない。生存はぼくが自分に課した最も重大な義務だから。僕は孤独と向き合うといつも消えてしまいたくなる。孤独はとても悲しい。だから、孤独を感じないために、自己肯定のための道具を求めている。絶対的な愛による庇護を求めている。