やさぐれ日記

とりとめのない話をしています。

時間が怖い

ハロウィンも終わり十一月も中頃になった。年の瀬も間もなく訪れるのだろう。

時間は決して加速しないが、日常は猛スピードで駆け抜けていく。

夜がだんだん長くなり、暑さで失っていた孤独を取り戻す。夏の大らかで優しく暖かで美しい夜から、無関心で厳しく冷淡で美しい夜へとすがたを変えていく。そんな季節の境目が未だと感じている。

 

 

時間が経過する、ということはひどく恐ろしいことだ。僕らは過去を積み重ねて、振り返ることができるという罰を受けている。過去の思い出が生きる希望となることもあるが、それよりも絶望としての威力の方が高いのではないだろうか。僕らが切に消えたいと願うのは、未来に希望がないと嘆くのは、過去の思い出が存在することのせいだ。

また、思い出はいつか風化するから消えたいと嘆いたことを忘れて人は今日を生きることができる。けれど、それも僕にとっては恐ろしいことだ。

 

過ぎ去っていくものが増えていく中で、かつては持っていた感受性が気づかないうちにすり消えてしまっていた。きっとそれは僕だけではなく、みんなそうなのだろう。

 

少年と呼ばれて差し支えのなかったころ、一人でお風呂に入ることが怖かった。風呂という閉鎖空間の中で自分だけが家族のいない異世界に来てしまい、リビングにいたはずの家族は誰もいなくなってしまっているんじゃないか、という妄想に取り憑かれていたからだ。それが今となっては、何の支障もなく一人で一日を過ごすことすら出来る。

これを成長だと社会は認めるだろうし、普通のことだというのだろうけれど、僕には感受性の欠落に思えてならない。

 

慣れに麻痺させられて、本当に怖かったその時の感覚を思い出せなくなってしまう。些細なことで傷つかない鈍い人間になってしまう。それが本当に成長なのか。僕は恐怖感ですら、その感情を失いたくなどなかった。きっとこれからも時間が経つにつれて、様々な感情を落としていってしまうのだろう。新しく受け取れるものはいくらでも欲しいけれど、今の僕の中にあるものは何一つ失いたくなんかない。

けれど、時間はそれを許さない。決して速度を緩めることなく、時計の針は進んでいく。